ミッシェル・ガン・エレファントと渋谷系〜青春の終わりとロックの始まり

あまり指摘されてないように思うが、今思えば登場した当初のミッシェル・ガン・エレファント(以下TMGE)はいわゆる渋谷系のムーブメントに括られていてもおかしくないような存在だったと思う。

もちろん音楽性は全然違うが(そもそも渋谷系と呼ばれていたアーティスト間でサウンド的な共通項を見つけるのは難しいというのは前提として)、音楽的アーカイブやリソースに対する豊富な知見、フェティッシュで無邪気なサウンド上のレファランス、アナログ盤へのこだわりや秀逸なアートワーク、ヨーロピアンでスタイリッシュなビジュアルなど、両者には共通点も多い。またボーカルのチバユウスケはDJの活動も盛んに行っていたこともあり、実際渋谷系界隈の人脈の繋がりもあっただろう。たまたまその音楽性がパブロックやパンクであっただけで、アンダーグラウンドでマニアックな音楽的素養を持ち、細身のスーツと夜の街とレコードが似合うという意味では、あの頃のTMGE田島貴男小西康陽と変わりはなかった。

ただ、1990年代後半頃渋谷系が終焉するのと同時に、TMGEも徐々に変質していく。まさにその90年代終盤の1998年、盛り上がりすぎて何度も中断を挟んだ伝説のフジ・ロックへの出演を経て、11月25日に4枚目のアルバム『ギヤ・ブルーズ』をリリース。アルバムはスマッシュヒットし、横浜アリーナなど今までのロックバンドでは考えられなかった大きな規模の会場でライブツアーを開催する。

一方、メジャーシーンで不動の人気を獲得していく中で、徐々にその表情からはシリアスさが増え、サウンドはヘビーになり、揃いの衣装を着ることもなくなっていった。いつの間にかTMGEはクールなモッズスーツに身を包んだナイーブな青年ではなく、日本の音楽シーンを背負わされたメガ・ロックバンドとなった。
一つの季節が終わったのだ。

何故、チバは「LOVE」を多用するのだろう。
何故、ルックスや振る舞いも含めブランキー・ジェット・シティに傾倒するようになったのだろう。
何故、漂っていたどこかやるせない惨めさや情けなさは影を潜め、散文調で硬質で文学性の高い歌詞が多くなったのだろう。
何故、「世界の終わり」に特別な意味を込めるようになったのだろう。

当時、相変わらず彼らの活動には熱狂しつつも、どこか困惑もしていたのを覚えている。

 

そして、バンドは2003年に解散を迎える。キャリア晩年、彼らは何かを背負い過ぎてしまったように見える。Youtubeなどで見ることができるラストライブの様子は、壮絶でもありながらやはりどこか悲壮感も漂っているようにも感じる。

今思えば、詰まるところデビュー当時の彼らは渋谷系のから騒ぎの中で、ある種のモラトリアムを過ごしていられたのだろう。パブロックやガレージパンクに熱狂し、7インチレコードを愛し、ライブハウスやクラブで気の置けない仲間達と踊り酩酊する。誰にも干渉されない、思春期的なナイーブな時間がそこにあった。

ただその喧騒は長く続かなかった。怠惰で狂騒的な東京の夜は明け、青春は終わり、「ロック」と向かい合う中で、徐々に彼らはマッチョになっていった。時代はTMGEにロックの盟主であることを望んだ。

それは自らが引き受けたことなのか、巻き込まれたことなのか、それとも自然の流れに身を任せた結果だったのだろうか。そして、それは当人にとって幸せなことだったのだろうか。

メンバーの2人が鬼籍に入ってしまった2023年、永遠にその声を聞くことはできない。